20220607:最近思いついたアイデア10選

1.音MAD作者と音MADの話をしないラジオをする

この前初めて音MAD作者と会うっていう人と飲み会に行ったとき、音MAD作者って何を話すのって言われた。

そういえば自分が良く飲み会は割と音MADの話はせず、解散した後にどういう会話をしたか覚えていないほど普通の会話しかしていない事に気付いた。

本当は忘れているだけかもしれない。

音MAD作者は音MAD以外の話もできる普通の人間なので、このラジオで音MAD以外の趣味や一面を掘り下げたいと思うが正直需要はあるのか分からないためこのラジオはやりません。

2.絵が描けないからデッサン教室に行こう

マジで絵が描けないし絵を描くのはつらい。

昨年の前半はほぼ毎日イラストの練習をしていたが好みの脚の形を把握しただけで終わってしまった。

祖父が教育基金なんとか基金というやつで自分にお金を取っておいてくれているらしいため、デッサン教室でも領収書を送ればお金が返ってくるらしい。

仕事がもう少し落ち着いたらデッサン体験コースでも受けようかと思う。

3.MAD_idea「動物娘」

うまぴょい伝説をいろいろな動物(実写)で作る。

イントロ前の「よ~いドン!」で犬とかがコースを爆走している絵が見たい。

音声はつらそう。

作りません。

4.焼きそばに人参を入れるのはやめる

人参は味付けしないで料理に入れてもそこまでおいしくない気がする。

焼きそばみたいにジャンクに食べたいのに固いものが入っているのも嫌だし、

もう人参はチキンライス、およびオムライスを作るときしか買わない。

5.世界は漂白されているのではないか

常々思っているのだが、世の中が徐々に奇麗になっており、それでもまだ漂白しようという動きが盛んな気がする。

ジェ〇ダー問題やLG〇T等の指摘も多く、明らかに配慮を強いられている作品も多い。

マイノリティを蔑ろにしろとは言わないが、このまま全ての悪意を取り除いた世界が良いものだとは思えないしほどほどのラインを見極める必要があるのではと思う。

気に入らないものを目に入れたくない人間たちへの不快感すごいし逆に一度世紀末になってくれ。

破壊だ。略奪だ。弱肉強食だ。

俺は喧嘩をしたことがないし弱の部類になってしまいそうだから、ヒョロガリが頂点の生態ピラミッドを基準の世界にしてほしい。

6.誕生日に欲しいものリストを公開してビビらせる

欲しいものリストを公開してだれからも送られてこないという事態に昔からビビっており、未だに公開をしたことがない。

だから今年は何も思っていない顔で公開し、周りをビビらせようと思う。

7.ティラノサウルスになりたいかも

ぎゃお~

8.今日はゲームしないで寝よう

やらないといけない作業が進まない。

耳コピがつらい。

9.midiキーボードを使おう

エンベロープ(エンベローブ?わからなくなるプとブ)をmidiキーボードのレバーを使って入力するとちょっと楽かもって思った。

10.しょうもない考えをアイデアとして昇華しよう

落ちです。

御後が宜しいようで!!!!!!!!!!!!!!(元気な落語家)

20220326:時々自分が不安になる

自分のことを考え始めると、昔から物事に関心をあまり持てないなって思うことがある。

音MAD作者としてもう10年以上生きている訳だが、実はそこまで動画を見ていない。
ランキングを見た事は無くTwitterやニコレポで回ってきた動画しか見て来なかったし、今はそれすらしなくなっている。

別に動画を見るのが嫌いってわけじゃないんだけど、能動的に探すのが億劫なのかもしれない。
もしくは自分は音MADを作るのは好きだけど、見るのはそこまで好きじゃないのかもしれない。
後者の方が有力な気がする。

一時期DJをやっていた。
DJは自分のメインのジャンルはもちろん、関係ないジャンルも幅広く聞き知識や感性を育てることで良いDJになると思っている。
いい音楽を沢山知っており、それを臨機応変に流すことで印象に残るDJをできる。
自分には幅広い音楽を聞かないといけないことが正直苦痛だった。

俺は音楽が好きなのではなくてHardtekとFunkot(どちらもメインでやってたジャンル)が好きなだけだったらしい。
もちろん他のジャンルも聴くし、フロアで流れれば楽しくなる。
だが知識として吸収するために片っ端から聴くのは本当にできなかった。今も出来ない。

音MADも音楽も常に最新から掘り出し物まで広く見ていないと知識は付かず、周りとの話が合わなくなる。
音MADの場合はそれを顕著に感じる。
月にいくつも新しい流行が生まれ誰もがその話をしている。
通話相手が変なことを言い、適当に返すと実はそれは語録だったってことも多く申し訳ない気持ちになる。

生放送とかラジオとかやりたいと思っているが、実は音MADを見ていないことがバレるのが嫌だし、音MAD作者として放送すると音MADの知識が求められそうなので実際に行動することは出来ない。

解決策は沢山動画を見るか、音MADの文脈を無視して自分独自の世界観を作るしかないのかも。

この関心が持てない病は逆張りの原因にもなってるし(別に逆張りしようとしてる訳じゃないけど)、この状態で得られるメリットもない気がする。
このままだとただただ薄っぺらくなる一方だ。

定期的にこういうことを考えて、意味もなく無性に不安になるのっさ〜。

20211106:クッキーを焼けない

一か月前の出来事。

正確には覚えていないけど、大体それくらい前の話。

特に理由もなくsteamを開くと珍しく通知欄に赤い表示が出ていた。

外国人からのフレンド申請かと思い、ため息をつきながら開くと、

そこには友人からの一言とクッキーのアイコンが表示されていた。

 

クッキークリッカーという、数年前に一世を風靡したブラウザゲームが存在する。

自分はやったことがないため詳細は分からないが、クリックをすることでおばさんがクッキーを焼き続け、ひたすらにクッキーの数を増やすというゲームらしい。

聞くだけでは大して面白くもなさそうだが、なぜかツイッターを中心としたインターネットの人間の心を鷲掴みにしたらしく、自動クリックなどのツールを使うものも現れ始めたという。

そんなゲームが今年、突然steam版を配信し始めたということは知っていた。

いつもたむろしているdiscordのサーバーではクッキークリッカー専用のチャンネルが設立され、何人もの友人が朝から晩まで誰にあげるでもなくクッキーを焼き続けていた。

時間とマウスの耐久力を奪う魔力を持った仮想クッキー作り体験、それを体験する権利が突然、自分にも送られてきたのだ。

 

そして今自分が何をしているかというと、特に何もしていない。

ただ仕事をして、オーバーウォッチというFPSを数試合やって寝る。

それだけの日々だ。

友人がお金を払ってまで、一生分のクッキーを焼く機会をくれたのに一枚も焼いていない。

 

新しいものを始めるのは疲れる。

まだ20代前半、職場では若者扱いされる自分だがこう感じることが非常に増えてきている。

仕事のせいか、今やっていることに精一杯だからかはわからない。

原因が分かったところで解決しようと思える体力も残っていない気がする。

 

友人に毎日のように勧められていたペルソナ5も1度起動したきりプレイできていない。

その間にコントローラーには埃が積もっていき、次にやるときの面倒が増えていく。

オーバーウォッチは習慣がついているのと、試合で放出されるドーパミンに中毒になっていること、試合という区切りによる辞め時のわかりやすさで続いているのだと思う。

 

イントロが長い音楽を嫌ったり、ファスト映画を好む若者が増えていると噂される現代社会。

そういう人間を今まで馬鹿にしてきたが、気づかない間に自分もそちら側に足を突っ込んでいたと思うと些かショックだ。

そして人生の先駆者たちが言っている言葉「年を取っていくほど新しいことを始める力が無くなる」も自分の焦りに拍車をかける。

気づけば若者と呼んでいいのか分からない、曖昧な境界線の上に立っていた事に気付いたなら、新しいことをまだ体験したいと思っているなら、多少無理をしてでも知らない海に飛び込むのも大切だろう。

ひと泳ぎして疲れたら、焼き立てのクッキーを食べながらオーバーウォッチをやればいい。

 

20210818:ステルス誕生日

8/16に24歳になった。

両親が俺を産んだ歳だ。

今の自分に結婚して子供を産んで責任をもって育てる覚悟があるかと言うと自信を持ってないと言える。

ここまで育ててくれた親には本当に感謝と尊敬を感じる。言わないけど。

 

それはそうと俺は毎年誕生日になるとできるだけそうだとバレないようにしている。

リアルではいいのだかSNSでは細心の注意を払っている。

理由はただ1つ、おめでとうのメッセージに返信するのが面倒だからだ。

 

もちろん祝ってもらいたくない訳では無いし、Twitterで風船が飛んでいるのに気づいてメッセージを送ってくれた人には心からありがとうと返事している。

しかしこれが何十人にもなるとさすがにしんどくなってくる。

全員に同じ文面でお礼するのも申し訳ないと考えてしまう性格のため、一人一人違うお礼を考えるのも大変だ。

今年は努力の甲斐あってメッセージを送ってくれた人数は1桁台だ。

 

 

20210803:人類、努力せよ

今日は職場で同い年の人と二人きりで作業をした。

作業と言ってもほぼやることはなく、ただダラダラ雑談しているだけだったがその時に印象に残った話がある。

 

その人曰く、人は努力型と才能型の2種類に分けられるらしい。

才能形は全てのステータスが平均以上であり、努力型はどれも劣っているが何か一つに絞って続ければ才能型を越えられるとの事だ(うろ覚えだけどそんな感じの話だった)。

個人的にはこの意見には賛同できなくて、多少才能の差はあれど、活躍している人も含めてほとんどの人間は努力型だと思っている。

 

自分は長いこと音MADを作ってきたため界隈でも名前を知ってくれている人はそこそこいるらしく、作品を評価してもらうことも多いが、自分の中では音MADのうまさは中の下~中くらいだと思っている。

謙遜とかではなく本気で思っている。

仲良い人が皆自分より映像も音声も凄く、やっている人が少ないDTMだって少し触ったらすぐ自分は追い抜かれると本気で思っている

恐らく自分より上の人を見続けているから自分を低く評価しているのだと思う。

 

今日の雑談でも自分は才能型に見えると同僚に言われ、(いやいやこれくらい少し勉強すればできるし、俺の周りにはこれ以上の人たくさんいるわ)と思った時にこういう考えに至った。

 

才能があるように見える人は本当はもっと上の人間を見て努力を続け力を得て、その努力が見えないから周囲の人はその人を天才だと評価するのだと思う。

もちろん努力を続けるのは難しく自分も最近は映像の勉強を全くやっていないため、努力を続けられることが才能なのかもしれないとも考える。

 

しかし、すごい技術を持っている人に「天才だね。才能あるね。」と安易に言ってしまうのは相手の努力を無視するようなことに感じてしまうためあまり言わないようにしたいなと思った。

それはそれとして才能型と言われた時は普通に嬉しかった。

たとCartRacerってゲームで努力しなくても他の人よりクリアタイムが早いのは普通に才能だと思う。

 

 

20210802:雑なCGでもいいじゃん

最近ニコ生でコワすぎ!シリーズの一挙放送があり、知り合いの勧めもあって複数人で見ることがあった。

ホラー映画は割と好みで多少雑な面も許容できる性格のため非常に楽しめたが、他の人の反応を見ているとやはりホラー映画は難しいなと感じた。

 

ホラー映画を他の人と見てて非常に気になるのが、恐怖シーンや超常現象を茶化す発言だ。

何か不明瞭なものが映ると「ほこりでしょw」。

急な展開になると「それは無理やりすぎでしょw」。

そしてわかりやすい合成やCGを見ると「作り物ってわかりやすすぎw」。

こういう発言を聞くと映像作品を楽しむにはある程度の理解力が必要だと感じる。

 

映画監督志望者でも評論家でもない自分が偉そうに語れることではないが、映画の評価されるべきポイントは複数あり、それが全て満点でなくてもどれかが突出していれば十分評価に値されるものだと思っている。

CGがすごいから良い映画というのは成り立つが、CGが酷いからクソ映画という評価は成り立たない。

たとえCGが雑でも、その雑なCGで表現しようとしている内容が伝わればそのCGが精巧である必要はない。

そして雑なCGのシーンに重大なメッセージが込めていて、そのシーンがあることで成り立つ素晴らしいエンディングがあったとしたら自分はその映画をいい映画と評価できると思う。

もちろんどう見ても本物のようなCGであれば良い評価になるが、その精巧さに関わらずCGで何を描きたいかが重要だと思う。

 

極端な例え話になるかもしれないが、自分の話に他の人物が出てくる際にその人物のセリフを完璧な声真似で表現をしなくてもその話は成り立つだろう。

異世界を描く際に現実にもありそうなクオリティの異世界を描かなくても、一目見て「あぁ、ここは普通の世界ではないんだな」と思うことができればいいはずだ。

 

ホラー映画はほかのジャンルの映画と比べて特に低予算であったり、あまりに不可解な怪現象を映像化する必要があるため映像表現が難しく雑に感じられることは多いと思う。

それゆえに馬鹿にされたり、低く見られやすいのかもしれない。

 

もちろんホラーが苦手で茶化しながら見ないと最後まで見れない人や、悪意なく笑えるところを探し出す癖がある人も多いと思うし、一切否定する気はない。

ただ映像の表面のクオリティしか見ないのではなくなぜその表現が必要だったのか、その映像で何を描いたのかを理解することがホラー映画、それだけでなく全ての映像を楽しむ重要な考え方の一つだと思うし、それを理解して茶化すのとしないで茶化すのとでは大きな違いがあると思う。

映画を見て「おもしろかったわw」ではなく「お~!面白かった!」と言えるようになりたい。

 

ちなみに脚本はしっかりしていないと、この文章みたいに何も伝わらなくなるからマジで重要だと思う。

20210801:実家の犬

早速2日も日記をサボってしまった。

不甲斐ない。

気を取り直して今日あった話を。

 

最近PCを新調したため古いPCを弟にあげることになった。

弟はPS4FPSをプレイするタイプで、興味あるならと声をかけたらめっちゃ欲しいとの返信が来た。

PCを弟にあげるために父親に車を出してもらい、実家に帰ったら少しショックなことがあった。

 

我が家にはミニチュアダックスのラムという犬がいる。

家族以外の人が家に入るとずっと吠え続ける厄介な癖があるが、家族にはベタベタの可愛いやつだ。

5月ぶりに実家に帰宅したところその犬にめちゃくちゃ吠えられた。

今までは少し吠えたあと俺を家族と認識し、ベタベタ甘えてきたが今回はずっと吠え続けるし近寄っても来ない。

 

実家を出た時点でいつかこういう日が来るだろうと覚悟はしていたがそれにしてもショックだ。

最終的に餌付けにきゅうりをあげ続け、ずっと抱いていたら吠えることも無くなり甘えるようになってくれたが、次に実家に帰った時も同じように吠えられるだろう。

 

犬の記憶力を信頼していたがさすがに限界があるのだろう。

もちろん吠えられたからと言って我が家の大事な家族を嫌うことは無いが、次に帰宅する時は吠えられてもすぐに機嫌を治して貰えるように美味しいものでも持っていくことにしよう。

 

弟はキーボード操作でAPEXを上手くプレイすることが出来ず、PS4でうまいプレイを俺に見せてくれた。

頑張ってWASD操作を出来るようになってくれ。

一緒にオーバーウォッチをやろう。